しゃべろぐ

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イギリスの国民投票から考える民主主義の難しさ

イギリスでEUを離脱するか残留するかで国民投票が行われ、皆さんご存知の通り離脱派が勝ちました。
これにより株式市場や経済界は混乱状態になり、今後のイギリスとEUとの交渉内容が大きな注目となっています。

そもそも民主主義とは

民主政治と君主政治

民主主義・民主政治とは国家や集団の構成員が全員権利者であり、その集団の意思決定などは構成員の合意に基づいて行われる体制のことをさします。

よく対比として挙げられるのが君主政治です。
君主制時はいわゆる王族(あるいは貴族など)の一存によって意思決定をされてしまいます。
当然、国のトップは世襲制が多いですし、行きすぎた君主政治は時に独裁となり、中枢の一部のみ潤い、国民全体が疲弊してしまうということが歴史的にも度々起こります。

現代社会において

現代においては基本的に多くの国が民主政治となっています。
SNSの普及などもあり、他国の状況を見ることで、自分達の国もより国民が政治に参加できる民主主義になろうという運動が起きたりします。

君主政治、あるいは、ある程度の民主主義ではあるものの、政府が腐敗しきっている国の人々は「より自分達の生活を改善するために」という強い気持ちのもと、政治に参加したいと主張するのです。

民主主義の危うさ

民主主義は国民の意見が国の方針に反映できるため、非常に素晴らしい政治システムだとは思います。

ただ、今回のイギリスの国民投票でもわかるように「国民全員が政治に参加できるが故の危うさ」も内在しているということを再認識しなければいけません。

権利と責任

例えば「◯◯できる権利をくれ」って言われたとして、言う通り権利を付与するとすると、当然その人には「その権利を行使した際の責任」がついて回ります。
政治家が不正を行い、それについての責任を問う時に辞任を求めるという図式はよく起こります。
当然、不正をした政治家が一番悪いのですが、その政治家を選んだ人の責任が全くないとは言えません。

デマゴーグと民衆


デマゴーグというのはいわゆる扇動政治家のことを指します。
デマゴーグの歴史は古く、古代ギリシア時代の民主主義政治下においても現れたと言われています。
当時も民衆を言葉を上手く使ってある一方の意見へ傾かせ、議会の決議に影響を与え、結果的に政治を操るという事を行っていました。

現代社会もこの図式はほとんど変わりはないと思います。

選挙権のある人(正確には選挙権があり、実際に投票をする可能性が高い人達)の関心が高い事柄を中心にマニフェストを掲げ、支持を確保しようとするのは珍しくありません。
これは、日本だけじゃなく海外も同様です。
最終的には広告が上手い政治家が選挙に勝つ仕組みとなっているのです。

ちなみに古代ギリシアは民主主義政治を軸として繁栄しましたが、このデマゴーグの出現により、民主主義ではなく君主政治へとシフトしてくこととなります。

民主主義政治の難しさ

感情と客観的判断

民主主義政治は理想通りに事が運べば素晴らしいシステムだと思います。

ただ、そこには「政治に参加する人がある程度の教養があり、冷静な政治的判断が可能」という事を前提に進める必要があります。

今回のイギリスのEU離脱派の意見として目立ったのが「とにかくEUがでかい顔してるからイギリス国民としてこれ以上黙っていられない」というものでした。
おそらくこの人のような意見は離脱派の中では特にマイノリティの意見ではなく、感情論という部分で「EUをとにかく離脱したい」と強く願う人が離脱派に集まっていたのだと思います。

今回の離脱派が勢力を伸ばしていったのは、やはり国民の奥底にある不満を刺激したというものでしょう。
これはイギリスだけではなくアメリカのトランプ旋風にも同じことは言えますし、日本でも過去に民主党自民党に大勝し、政権を取った時と雰囲気は似ています。

人間ですから、投票する理由の中に感情的な要素が全く入らないというのはあり得ないですが、問題なのは「感情的な面のみで判断をし、その後の政治、ひいては自分達の生活ににどのような影響を及ぼすかという予測をしていない」というものです。

日常生活の中に議論を


※画像はイメージです
上記のような事を避けるためには政治家だけではなく、国民同士も徹底して政治について議論をするべきです。
それをしないと結局同じ意見を持つ人達のコミュニティの中で、対立政党への不満や批判を言うだけとなり「反対意見の人がこういう風に考えているのか」という客観的な判断をする機会が圧倒的に少なくなります。

日本は最近でこそディベートの大切さを評価し、学校でディベート授業を行ったりしますが、議論を交わすということが日常生活に根付いていません。
議論の内容はなんでもいいんです。
たまに相手の揚げ足を取る事に注力し、答えに窮したのを見て「勝った」と快感を覚えているような人がいますが、これは議論ではなく、ただの罵倒なので生産性あるものではありません。
議論をして「相手の意見も汲み取りつつ最善策は何か」という事を自分の中では導き出す訓練のようなものが必要だと感じてます。

最後に

とりあえず選挙は行こう